1:2016/10/28(金) 22:41:26.09 ID:
現在最下位に甘んじている北九州

 鹿島アントラーズで一時代を築いたレジェンド、37歳のMF本山雅志がJ2の舞台で奮闘している。今シーズンから完全移籍で加わった、生まれ故郷のギラヴァンツ北九州でJ2への残留争いを強いられているなかで、濃密すぎる経験と持ち前の明るく飄々としたキャラクター、日本代表でも発揮された卓越したテクニックでチームを鼓舞している大ベテランの“いま現在”を直撃した。(取材・文:藤江直人)

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 通算19シーズン目を迎えたプロサッカー選手人生で、37歳の大ベテラン、MF本山雅志は初めて経験する“プレッシャー”の真っただ中にいる。

 高校サッカー史上で初めてとなる三冠獲得の勲章を引っさげ、東福岡高校から鹿島アントラーズに入団したのが1998シーズン。神様ジーコが礎を築いた常勝軍団で5年目から栄光の背番号「10」を託され、前人未到のリーグ戦3連覇を含めた14個ものタイトル獲得を経験してきた。

 一転して、今シーズンから完全移籍で加入したJ2のギラヴァンツ北九州は、残り5試合となったリーグ戦で最下位に甘んじている。このままシーズンを終えれば、J3降格の憂き目にあう。ひとつ順位を上げて21位になっても、ホーム&アウェイ形式で行われるJ3の2位との入れ替え戦が待つ。

 これが20位に滑り込めば残留を果たせる。現時点で21位のFC岐阜との勝ち点差はわずか「1」で、20位のツエーゲン金沢とは「3」。ツエーゲンと勝ち点36で並び、得失点差でわずかに上回るカマタマーレ讃岐が19位につける。痺れるような状況に、百戦錬磨の経験をもつ本山も苦笑いを隠せない。

「後がない感じは優勝争いと似ているかもしれませんけど、頂点へ向かっていくときに感じるプレッシャーと、下に落ちるかもしれないというプレッシャーは、やっぱりまったく異なるものなので。その部分では難しいですけど、だからこそモチベーションをどれだけ上げられるか。(優勝争いと)似たような感じだと言い聞かせながら(プレッシャーを)いい方向に変えて、目の前の試合で自分のプレーをしっかりとすることだけを考えています」
「1試合、1試合がめちゃくちゃ疲れます」

 アントラーズ時代で唯一、「降格」の二文字がちらついたのは本山が加入して2年目の1999シーズンくらいだろうか。この年は開幕から低空飛行が続いた末に、セカンドステージ途中でゼ・マリオ監督を解任。ジーコが総監督として急きょ指揮を執り、最終的には年間総合順位を9位で終えた。

 当時の本山はまだ途中出場が多く、リーグ戦におけるゴールも記録していなかった。それだけに、37歳にして初めて経験する残留争いは、逆の意味で新鮮に感じられるのだろう。1試合を終えたときに覚える感覚が「まったく違いますね」と、再び苦笑いしながらこう続ける。

「1試合、1試合がめちゃくちゃ疲れます。勝った試合ももちろんですけど、負けたらどこが悪かったのかをすぐに考えるので。何よりも『勝たなきゃいけない』という状況が、やっぱり疲れますよね」

 昨シーズンはわずか6試合、合計139分間のプレーに終わった。先発出場はセカンドステージ第5節のサガン鳥栖戦だけ。リーグ戦終了後にフロントと話し合いの場をもち、退団が決まった。当時のアントラーズのオフィシャルサイトには、本山のこんなコメントが綴られている。

「今後を考えるうえで自分のキャリアを振り返ったとき、いろいろな情景や感情が沸いてきました。しかし、最後には『まだピッチに立ち続けたい』という気持ちが残りました。試合に出場して、チームに貢献したい。プロ選手としてあるべき姿を追い求めたいという願いから、退団を決意しました」

 いくつかのオファーを受けたなかで真っ先に声をかけてくれて、柱谷幸一監督が茨城県鹿嶋市へ足を運んで熱意も伝えてくれたギラヴァンツを選んだ。カテゴリーがJ2となることに、何も不安もなかった。むしろ北九州市で生まれ育ち、サッカーを始めた本山は原点に戻る思いを胸中に募らせていた。
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「10」番を背負うことも状況次第では可能だった

 たとえば背番号。今シーズンはチーム内でもっとも大きな「43」を背負っているが、これは登録が遅れたからではなく、本山自身が望んでつけたものだ。ギラヴァンツ側は当初、アントラーズにおける本山の功績に敬意を表して、背番号に関してこんな言葉をかけてきた。

「10番をつけたいのならば、コテに聞いてみて」

 コテとは大分トリニータから加入した2013シーズンから、背番号「10」を託されてきたMF小手川宏基。アントラーズ時代に続いて「10」番を背負うことも状況次第では可能だったが、本山はギラヴァンツへの移籍が決まったときから「43」しか考えていなかった。

 北九州市立二島中学校から、全国の猛者たちが集まる名門・東福岡高校へ進んだ1995年。練習試合に臨むために手渡されたユニフォームに記されていた番号が、実は「43」だった。

「東福岡は僕が飛躍したチームでもあるので。そこで付けた最初の背番号のもとで、原点に戻ってサッカーをやりたいな、という気持ちですね。なので『10』に関しては何も考えていませんでした」

 迎えた今シーズン。昨シーズンはJ1を戦ったモンテディオ山形をホームの北九州市立本城陸上競技場に迎えた2月28日の開幕戦で、ギラヴァンツはJ2に加盟して7シーズン目にして初となる白星発進を果たす。本山も後半24分から途中出場し、歓喜の瞬間をピッチのうえで味わった。

 しかし、J3から初めて昇格したレノファ山口に初勝利を献上した第2節を境に、風向きが大きく変わる。第13節のFC町田ゼルビア戦まで実に11試合も勝ち星から見離され、松本山雅FCに苦杯をなめた第16節終了時には2010シーズン以来となる最下位に転落した。

 本山自身も後半途中からの出場が多くなった。しかし、自身のコンディションと、何よりもチームが置かれた状況と戦力とを考えたときに、それが指揮を執って4シーズン目となる柱谷監督の考えうるベストの戦略だと受け止めて、与えられたチャンスでベストを尽くしてきた。

「けが明けという時期もありましたけど、チームとして守備を重視する戦い方が多くなってきたので、その部分で後半に勝負をかける途中交代だったと思っています」
ベテランの自問自答。いまの自分に何ができるか

 アントラーズ時代に培った濃密な経験と、Jクラブのなかでも希有な強さを誇る「勝者のメンタリティー」を、生まれ故郷に産声をあげたギラヴァンツに伝授したいという思い。なかなか勝ち星をあげられずに、もがき苦しんでいる現実。そのはざまでいまの自分に何ができるかを、本山は自問自答してきた。

「もちろん勝つための試合をしたい。けれども、鹿島とはまた違った色があるチームなので、そこは監督がやりたいサッカーや、みんなができるサッカーというものに準じていかなきゃいけない。その部分では難しい部分がありましたけど、前半戦に比べればそういう状況にも慣れてきましたし、もっと違う部分も出していけるのかな、と思っています。

 やっぱりこのチームは前からボールを奪いにいくというよりは、(自陣に)引いてボールを奪ってカウンターという形が多いので。引いてボールを奪ったときに、しっかりとボールをつないで起点になる、あるいは自分たちがボールをもつ時間を長くすることが僕にはできると思うので。そういうプレーを、もっとやっていきたいですね」

 厳しい状況に置かれても泰然自若としているオーラを発しているのは、アントラーズ時代の経験がなせる業なのかもしれない。コンディションも上がり、8試合連続で先発に名前を連ねた23日の清水エスパルス戦。敵地で0‐2と苦杯をなめ、5試合ぶりに黒星を喫しても、後半23分にベンチへ退いた本山の口調は穏やかだった。

「勝ち点1でも取って帰ろう、というプランで臨んだんですけど。先に点を取られて、それでも粘り強く攻めていくなかでチャンスを作れればと思って試合を進めていきましたけど、向こうがボールをもつ時間が長くなってくるにつれて難しい状況になりましたね。僕自身のコンディションはいいですよ。今日もまだまだできる感じだったので」

 J1昇格プレーオフ圏内につける京都サンガ、首位を快走する北海道コンサドーレ札幌とスコアレスドローにもちこんで勝ち点1を稼ぎ、前節では残留を争うカマタマーレに3‐0で快勝。ツエーゲンに代わって最下位を抜け出したが、1試合で逆戻りしてしまった。

3:2016/10/28(金) 22:42:21.24 ID:

どうしても残留したい理由。新スタジアムのオープン

 残りは5試合。ギラヴァンツにはどうしてもJ2に残留したい理由がある。悲願でもあった新スタジアムである、建設中の北九州スタジアムが来年3月12日に正式オープンすることが決まったからだ。

 JR小倉駅から北へわずか500メートル、徒歩約7分に位置する、いわゆる「街中スタジアム」は約1万5000人収容の球技専用で、J1規格をも満たしている。2014シーズンには5位に食い込みながら、現在の北九州市立本城陸上競技場の不備でJ1ライセンスが付与されなかったがゆえに、J1昇格プレーオフに出場できなかった。

 念願がかなって、今年9月には来シーズンのJ1ライセンスが交付された。人口約96万人を抱える北九州のサッカー界にとって、新スタジアムのこけら落としとともに新たな歴史が幕を開ける2017年。象徴をなすギラヴァンツがJ3で迎えるわけにはいかないと、本山も力を込める。

「僕たちにはもう(J2に)残留するしかないので。(来年は)J1へはいけないので、残留に向けてしっかりやらなきゃいけないので。結果が伴ってくれば、北九州市は人口も多いので、どんどんサポーターも増えてくるはずなので。それを目指して頑張っていきたい」

 アントラーズ時代の晩年は1年契約を続け、目の前の試合に集中してきた。一転してギラヴァンツに移籍した際には2年契約を結んだ。そこにはチームが待ち焦がれてきた真新しいスタジアムで、新たな歴史を作っていく一員になりたいという熱き思いが込められている。

 移籍を決めてからは単身赴任の形で、北九州市内で鮮魚店を営む実家から日々の練習に通っている。実家住まいの37歳のJリーガーという現状に照れ笑いする姿からも、ボールを追いかけ始めたころの原点に戻り、愛してやまないサッカーに夢中になっている本音が伝わってくる。

「僕の部屋ですか? 残っていたといえば、残っていたという感じですね。親と話す時間も多くありますし、本当に“超”がつくほどの地元なので、いろいろな友だちにも会える。懐かしい感覚のなかで、楽しくしています」

 30日の次節はホームにFC岐阜を迎える。J2残留を争うチームとの直接対決はこれが最後。勝てば最下位を再び脱出し、ツエーゲンとカマタマーレの結果次第では、一気に19位にまで順位を上げることができる。文字通りの大一番で、自然体を貫く大ベテラン、本山の存在感がますます大きくなる。

http://news.biglobe.ne.jp/sports/1028/fot_161028_7671140108.html
 
5:2016/10/28(金) 22:50:55.38 ID:
本山も37歳ですか~、99年のワールドユースで日本は世界2位という快挙を
達成しました、あの時は本山がかなり効いてましたね、なぜもっと日本A代表に
呼ばれなかったのか不思議です、実力は日本ナンバー1クラスだった。
 
16:2016/10/28(金) 23:08:21.92 ID:
>>5
本山はもっと代表で出すべきだったよね
ってか単純にもっと見たかった
10:2016/10/28(金) 22:57:12.86 ID:
>>5
あのチーム+αでA代表組めば、ドイツでの惨劇はなかったと今でも思う
何せ日本が最も世界一に近づいたチームだ
 
13:2016/10/28(金) 23:00:27.51 ID:
>>10
安易すぎんだろ
 
22:2016/10/28(金) 23:14:08.30 ID:
>>13
夢くらい見させてくれよ。本当に当時夢見てたんだわ。これはすげぇと。
 
24:2016/10/28(金) 23:18:00.88 ID:
>>22
俺も
夢を見させてくれるだけの力があるって事は凄いことだよ
黄金世代だけは悪く言えねえ、どうしてもタラレバに走ってしまうが許して
 
6:2016/10/28(金) 22:52:02.89 ID:
ドリブルは宇佐美よりも上手かった、パスセンスも状況判断力もあった。
 
7:2016/10/28(金) 22:54:11.96 ID:
宇佐美より上でしょ。
 
9:2016/10/28(金) 22:55:07.47 ID:
前園もA代表に選ばれるべきだった。
 
11:2016/10/28(金) 22:57:44.81 ID:
松本山雅志
 
12:2016/10/28(金) 22:59:30.72 ID:
高原直泰も37歳だけど
沖縄で現役なんだな
 
18:2016/10/28(金) 23:09:17.47 ID:
>>12
高原は当たり外れがデカい選手だったな、なんつーか久保竜彦みたいな感じで
役に立つときは役に立つけどダメな時はダメな選手だった、やっぱ基本がなって
無かったな、それに比べればザキオカは優秀だよ、ザキオカは上手い。
 
14:2016/10/28(金) 23:00:42.97 ID:
100億以上の箱物作ってる最中にJ3降格かよw
北橋みたいな無能な知事は次の選挙で確実に落とすべき
 
19:2016/10/28(金) 23:09:35.64 ID:
>>14
専スタがなかった2013年はJFL優勝しても昇格できず
専スタが出来る2014年以降は昇格できないまま今に至る長野パルセイロの悪口はやめて差し上げろ
 
15:2016/10/28(金) 23:06:41.05 ID:
北九州帰ってもまだパナメーラ乗ってるの?
あのクルマカッコよかったなぁ
 
17:2016/10/28(金) 23:08:28.45 ID:
あの時の本山は無双という言葉に相応しかった
 
21:2016/10/28(金) 23:12:01.54 ID:
ドイツWCアジア予選インド戦で本山はスタメントップ下に起用された
もしこの試合で大活躍していたら本山のキャリアは変わっていただろう
もしくは99WY準優勝ベストイレブン取ったあと海外へ行っていたらな
鹿島は柳沢鈴木隆行満男中蛸らを海外挑戦させたんだから本山にもチャンスを与えて欲しかった
 
 
25:2016/10/28(金) 23:19:50.67 ID:
トルシエジャパンがなんでフラット3の高ライン押し上げという戦術を取った
のかが最近わかってきた様な気がする、つまりトルシエサッカーとは
日本代表にとって初めてピッチに放り込まれたサッカーだったわけだ、
要するに"練習"だ、中学生が必死にピッチでボールを求めて激しい攻防を
繰り広げる、まさにそんな感じのサッカーだ、まあ世界ではスラムサッカーとか
街頭サッカーとかいろいろ遊びでガキの頃から経験してるだろうけど、
もちろん地元のサッカーチームでも、しかしその状況が日本には無い、
つまり単純にガチでボールを追い回す段階、日本人のサッカーにとってその段階での
欠如をトルシエは日本代表に認識させようとしたわけさ、まあ要するに育て直しだなw
 
26:2016/10/28(金) 23:20:40.25 ID:
本山はU-20の活躍が今ならたぶんオファー来てたな
当時は日本人選手なんてスカウトあんま見てなかった
 
33:2016/10/28(金) 23:29:19.24 ID:
>>26
99WY準優勝の時に海外からオファーきてたよ
あの大会で誰よりも目立っていたからね
 
27:2016/10/28(金) 23:21:57.90 ID:
昔の本山しか知らない人しかいないな
 
28:2016/10/28(金) 23:24:46.26 ID:
本山やジダンはデュエルが強かったなぁ、要するに日本人に欠けているのは
デュエルだったのかもしれない。
 
29:2016/10/28(金) 23:26:03.20 ID:
いくら衰えてるからってJ2でならもっと出来るもんだと思ってたらノーゴール、1アシスト。
 
30:2016/10/28(金) 23:26:38.87 ID:
稲本はデュエルが強かったけど下手さも持ってた。
 
31:2016/10/28(金) 23:28:32.70 ID:
ジダンはあれ普通にフィジカルお化けだからな
 
32:2016/10/28(金) 23:28:34.72 ID:
デュエルとは闘牛士の動きみたいなもんだろ。
 
34:2016/10/28(金) 23:29:38.80 ID:
ジダンは上手かっただろ~。
 
35:2016/10/28(金) 23:31:51.98 ID:
二島の本山、宮原、山形、山形弟の4年間は奇跡だな。

四年連続プロ出した中学なんてないだろうな。
 
36:2016/10/28(金) 23:32:44.04 ID:
益田カップの得点王だよね?
決勝では愛媛のチームに負けたと記憶している。
四半世紀以上前の話。
 
37:2016/10/28(金) 23:34:54.99 ID:
つーか金沢の確変終わってたんだな
 
38:2016/10/28(金) 23:35:28.76 ID:
デニウソンはデュエルが強かった、サンパイオもデュエルが強かった、
メッシのはハメ技だろな。
 
40:2016/10/28(金) 23:39:16.37 ID:
ま、本山がJ2だろうと通用しないのはわかっていた。
たぶん北九州のフロントもわかって獲ったと思う。それくらい劣化していたのは事実。

ま、パンダだよな。
 
41:2016/10/28(金) 23:39:51.67 ID:
ハーフナーがトップで大迫が左でザキオカが右だろ、とりあえずトップ下は
清武だろな。
 
45:2016/10/28(金) 23:46:00.94 ID:
プロに入りたての頃、ブラジルに研修みたいなので行って、練習試合の
相手にあいつは置いて行ってくれといわれたのが本山雅志。