1:2016/07/28(木) 00:05:59.83 ID:
言語化によるプレー事象の整理

 日本代表に4-4-2が本格的に導入されたのはハンス・オフト監督のときだった。オフトが就任した92年はJリーグ開幕の前年にあたる。当時のフォーメーションは4-4-2か3-5-2が主流。4-4-2はMFをダイヤモンドに組んだ形が多く、日本代表でも使っていた。

 ダイヤモンド型では中盤の底に森保一、右に吉田光範、左にラモス瑠偉、トップ下に福田正博。ボックスのほうは後方が森保と吉田、前方にラモスと福田である。負傷者や出場停止者が出ても、この4人に北澤豪を加えた5人でやり繰りしていたので、5人とも複数のポジションでプレーしていた。

 アメリカワールドカップ予選まで1年半しかなかったため、メンバーを固定化していたのだ。メンバーの固定化は選手層の薄さとして最終予選のネックになるのだが、それまでの強化は順調だった。オフト監督の功績はプレーを整理したことである。

「あれ? 試合になってる……そういう感覚でした」(柱谷哲二)

 主将を務めた柱谷によると、「それまでは韓国と当たったらおしまいだった」のが、韓国に対しても互角に戦えるようになっていたという。コンパクト、スリーライン、トライアングル、アイコンタクト……オフト監督はシンプルな英語でプレーのディテールを切り取って提示した。それまでにも“あった”し、サッカーでは常に“ある”ものだが、当時の日本にはそれぞれの事象を示す言葉がなかった。事象に名前がつけられたことで、それまでモヤモヤしていたものが整理された。

オフト監督はディシプリンを要求している。日本語にすれば規律だが、規則そのものよりも規則を守ろうとする姿勢を指す。秩序のないサッカーが嫌いだったのだ。代表が急速に力をつけたのを目の当たりにしたメディアは「オフト・マジック」と書き立てたが、オフト自身は「ロジックだ」と反論している。

 代表メンバーの核になっていたヴェルディ川崎は、南米サッカーの影響を強く受けていた。しかし、彼らに勝手にプレーさせてしまうと秩序がなくなる恐れがある。ロジックに基づいて段階を踏んで成長させたいオフトは、秩序のないプレーを排除したかったのだろう。

「ポジションをぐちゃぐちゃにするな、自由ではない」

 オフト監督はよく選手にそう言っていた。例えば、MF右サイドの選手が左サイドまで移動してしまうのはNGだった。フィールドを縦に4分割した場合、右側2つのエリアは自由に動いていい。しかし、右から3つめ(左から2つめ)はダメ。流動的にポジションを変えるのではなく、ある程度固定化させた整然としたサッカーを指向している。このあたりはオランダ人らしい。

 得点源の三浦知良に対しても「下がるな」と指示している。カズは数多くボールに触ってリズムをつかむタイプのFWで、ヴェルディでもそうしていた。中盤に引いてからドリブルで仕掛けていくプレーもよくやっていた。しかし、これも代表ではNG。運動量を増やしすぎると肝心のゴール前で「息切れする」というのがオフトの理屈である。

 一から十まで細かく言う監督ではない。その点ではヨーロッパの標準的な監督であり、“こうプレーしろ”ではなく“この結果を出せ”と言うタイプである。コンパクトにしろとは指示するが、どうやってコンパクトにするかは選手に委ねられていた。ただし、何か具体的な指示が出たときは絶対である。ブラジルでプロ経験のあるカズはこうした監督との関係をすんなり受け入れた。まともに衝突したのはラモスである。

 最終予選の段階でラモスは36歳。19歳で来日してから日本サッカーを支えてきたスタープレーヤーだった。所属の読売クラブ(ヴェルディ川崎)では1人のプレーヤーの枠を超えていて、柱谷によると「ラモスさんの言うことは全部通った」という存在である。ほぼ監督と言っていい。

 1つのチームに監督は2人いらない。当初、ラモスはオフト監督を認めていなかった。2人の考え方の違いで大きかったのは攻撃のアプローチだ。オフトは徹底したサイド攻撃を説いたが、ラモスは中央突破に固執していた。雑誌のインタビューにラモスの監督批判が載り、オフトはラモスを呼び出して弁解を迫っている。この会談はケンカ別れの危険もあったが、その後に2人の関係は急速に改善された。
 
2:2016/07/28(木) 00:06:26.78 ID:
 
とはいえ、考え方の溝まで埋まったわけではなく、オフトは相変わらずサイド攻撃を強調し、中央でパスをもらえないラモスが苛立つような場面がよくあった。オフト監督は強い相手に対してサイドアタックのほうが有効と考えていたが、中央突破が不要とは思っていない。ただ、中央から攻めてもいいと言ってしまったら、おそらくそればかりになってしまう。

 ラモスのほうもサイドと中央のバランスが大事だと気づき、すべて中央というわけでもなくなった。互いに本当にやりたいことは違うのだが、監督のオフトがタテマエを崩さず、プレーメーカーのラモスはそれに合わせながらも中央突破のチャンスがあれば狙っていく。それでバランスがとれていた。

4-4-2は頓挫も大きな変化が見られた

 個性の強い選手たちをパッチワークのようにつなぎ合わせた日本代表は、アジアカップ初優勝を果たし、人気の面でもJリーグ開幕の気運とともに牽引車となった。弱点は選手層の薄さである。オフト監督もバックアップの充実を図ったものの時間が足りなかった。最終予選前には負傷中だった都並敏史の代役探しで難航する。

 ただ、それ以上に日本のプレースタイルがすっかり読まれていたのが痛かった。最後のイラク戦でのロスタイムに喫した失点がクローズアップされがちだが、予選敗退の要因は2戦目のイラン戦で敗れたことだと思う。イランは日本の中枢であるラモスを激しい当たりで潰し、急造の左サイドを徹底してついてきた。

 イランに負けて後がなくなった日本は、カズ、中山雅史、長谷川健太の3トップに変えて北朝鮮、韓国に連勝する。メインのフォーメーションだった4-4-2は緒戦のサウジアラビア戦のドローとイラン戦の負けで軌道修正を余儀なくされた。手の内を読まれた4-4-2はアジアで頓挫したわけだ。

 オフト監督になってからの大きな変化はパスを回せるようになったこと。それまで対戦相手はプレッシャーをかければ日本はつなげないと思っていた。しかし、パスでかわされてしまうので諦めて引くようになった。主導権を握るか握られるか、アジアにおいてその一線を越えたのがこの時期の代表だった。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160727-00010013-footballc-socc&p=3
 
4:2016/07/28(木) 00:13:20.01 ID:
ポジションを空けてどこ行ったのかな?ってのを見るとほんと懐かしい
空けたまんま戻って来やしねーし、そこ突かれてるし
 
5:2016/07/28(木) 00:17:42.80 ID:
そういう問題じゃない
日本代表選手のレベルが低すぎた
2-1で勝ってて後半残り何分てときに時間稼ぎすら
知らないってプロなんて恥ずかしいレベルだ
なんでサイドでボールもらってセンタリングあげるんだよ
そのままドリブルでコーナーフラッグ付近までいって
キープしろよアホ
ラモスもあんな時間帯にふざけたパス出すし
時間稼ぎさえ知ってれば2-1で終えられたっての
 
34:2016/07/28(木) 05:50:53.66 ID:
>>5
そういう問題じゃない
そもそもあの予選はゴンのおかげで勝ってきた、残ってきた状態だったのに
そのゴンを下げて武田なんか出したからいっきに運が逃げたんだ
選手交代して時間かせぎするならカズさげるべきだった
10:2016/07/28(木) 00:23:25.81 ID:
>>5
確かのその通り
でも、それ以前はもっとひどかった
単純なリアクションサッカーで、そもそも戦術なんてほぼ存在しなかった
それがゲームになったのはやっぱ意義があるし、その土台が、今を支えていると言ってもいい
 
7:2016/07/28(木) 00:22:22.99 ID:
>>5
そういう試合運びの駆け引きも含めて、アメリカに行くには早すぎたのかもな~
 
6:2016/07/28(木) 00:21:32.70 ID:
>>5
その最後の最後、まで辿り着けたのが
オフトの手腕って話だろw
 
11:2016/07/28(木) 00:24:00.04 ID:
>>6
もちろんそれがオフトの手腕
ただオフトもあの時間帯に武田なんて投入してるし
時間稼ぎを知らなかったのは選手だけじゃなく
オフトもしらねーのかよって思うわ
 
12:2016/07/28(木) 00:25:44.85 ID:
>>11
アレは武田はスピードあるタイプだからチェイシングしろって事じゃないの?
スピードがあればそれだけボールに対して詰められるって理由で
 
14:2016/07/28(木) 00:29:15.83 ID:
>>12
武田にチェイシングの能力なんてあったとは思えない
オフトが仮にそれ考えてたとしても
武田もそれが指示なんてわかってないで
ピッチ出てるだろあれw
 
15:2016/07/28(木) 00:29:51.51 ID:
>>11
武田は消耗してないし、
一番元気に追い回してくれるって思ったんだろな...
結果論だけど武田はないよねw
 
41:2016/07/28(木) 06:43:14.53 ID:
>>15
まあ後で考えたら武田はないわww
 
16:2016/07/28(木) 00:31:23.02 ID:
当時の日本のレベル考えたらユースのコーチやってたオフトぐらいが丁度良かった
 
17:2016/07/28(木) 00:31:52.99 ID:

そこなんだよな・・・
オフトから指示出ても理解出来てない&ラモスに対してイエスマンて事もあるからな

終わってみればだが武田にもう少し頭があればと思うのと武田じゃないよな
 
18:2016/07/28(木) 00:32:41.06 ID:

選手としてはフェイエノールト所属だったような気もする
その後、小倉、小野とフェイエノールトは日本人獲得に積極的に動いてくれた
 
19:2016/07/28(木) 00:37:53.31 ID:
オフトに見いだされたのが森保一
 
8:2016/07/28(木) 00:22:59.36 ID:
最後のセンタリングもカズが無謀なタックルに行かないでもう少し耐えていればな。
いずれにせよいろんな意味で経験が足りないチームだった。
もっと言えば日本サッカーそのものの経験値が全然足りてなかった。
 
9:2016/07/28(木) 00:23:16.65 ID:
柱谷監督が代わるしか北九州ギラバンツを救う道はない。
 
21:2016/07/28(木) 00:42:01.27 ID:
武田は自慰子にとっての大黒みたいな
とにかく1点が欲しい時のスーパーサブ候補であって
リードした状況で投入する選手ではないんだよね

FWを代えるとすればスピードのある選手を投入してカウンターを狙うか
体の強い選手を投入してターゲットにするかのどちらかで
当時の代表でいえばそれぞれ福田と高木が適役だった
 
26:2016/07/28(木) 02:10:11.30 ID:
>>21
当時の試合見返してみると(実際に映像見ないと信じられないだろうけど)
武田はイメージと違って当時の日本代表チームの中ではドリブルが一番うまい
オフトがジュビロの監督やってた時武田を右ウイングバックで使ってたし
オフトは武田をはFWではなくサイドプレーヤーとして送り込んだんだと思う(結果はジノラみたいな無意味なセンタリングだったが)
 
22:2016/07/28(木) 01:03:34.62 ID:
その国の実力に合った指導が出来る人間ってのはまた別物だよな
世界のどんな名将が来ても日本だと相当苦労して駄目なまんま終わると思うわ
これが出来ないのか、これが出来ないとやりたい事も出来ないってなる

言われた事はきっちり守るが言われてない事を全くやらないって
毎度毎度日本にくる外国人監督が言ってた訳だしな
ケースバイケースで考えるのが日本の団体競技の一番苦手な所だからその対処が出来ない
想定外の事が起きたり予想してたことがうまく行かなくても同じ事を繰り返し続ける
これが自分達のサッカーが出来なかったと出てくる奴が入れ替わり立ち代り口にした原因だわ
ギリシャ戦の長友の繰り返しとかな

正直個人競技なら出来てんだよ
だから世界と戦えたりする
周りがいつも通りやってるのに俺だけがいつもと変えてもよくないから合わせ続けよう。
周りが自分が変えた事で合わせに来る事なんか文句言われるのを恐れてやらないからな
プロでもアマでも部活レベルでも
 
23:2016/07/28(木) 01:30:26.69 ID:
オフトの後に代表監督をブラジル人にしたのは何でなのだろう
それから後にネルシーニョってのが実現していたとしてもだ
 
24:2016/07/28(木) 01:34:47.16 ID:
>>23
その頃から協会は行き当たりばったり立ったんだろうね。
選手以上にアマチュアなのは協会なんじゃない?
 
25:2016/07/28(木) 01:39:58.48 ID:
>>23
日本サッカーは昔からブラジル派とドイツ派がいる
 
27:2016/07/28(木) 02:16:44.32 ID:
磯貝をもし選んでいたらどうなっていたんだろうか。あの当時はまだ膝を怪我していなかった状態だから気になる。
 
28:2016/07/28(木) 02:19:02.11 ID:
ラモスがオフトの言う事聞かなかったから勝てなかったんだよな
 
29:2016/07/28(木) 02:25:34.54 ID:
当時のオフトは高木琢也よりも足技が上手くて、ポストプレーのやり方を本人が実践して教えていた

これ豆な
 
30:2016/07/28(木) 02:36:21.19 ID:
びっくりするくらい低レベルな話よね
いくらあの時代とはいえ
いかに日本サッカーが無能揃いだったかという
 
32:2016/07/28(木) 03:56:14.02 ID:
>>30
物事には経過というものがあってだな
 
37:2016/07/28(木) 06:08:00.96 ID:
>>代表メンバーの核になっていたヴェルディ川崎は、南米サッカーの影響を強く受けていた。しかし、彼らに勝手にプレーさせてしまうと秩序がなくなる恐れがある。ロジックに基づいて段階を踏んで成長させたいオフトは、秩序のないプレーを排除したかったのだろう。
>>「ポジションをぐちゃぐちゃにするな、自由ではない」

これセルジオ越後が伝えたサーカスサッカー教室そのもの
あいつが日本サッカー停滞の諸悪の根源
のちのファルカンジャパンでのサッカー協会でのクビになった歴史に残るゴミ仕事も
まさにまとまりのないその系譜
 
38:2016/07/28(木) 06:12:15.59 ID:
今だと当たり前にできてることが25年前はプロですらできてなかった
これどんなスポーツでもよくあること
 
40:2016/07/28(木) 06:42:33.60 ID:
あの時代にカズを下げるなんて絶対にありえない。笑
 
42:2016/07/28(木) 06:45:34.42 ID:
柱谷って、単純な縦パスを入れて、いつもカットされていたイメージがある。
 
44:2016/07/28(木) 06:49:59.07 ID:
Jが出来るまで日本がW杯に出るなんて100%無理だったからな
監督だけじゃなくて選手もアマチュアだったんだからね
それが枠が増えたとはいえ出て当たり前になるとか考えもしなかったわw

他の国もレベル上げてくるだろうし今が一番良いのかもな