1: :2017/01/07(土) 19:03:48.62 ID:
チームの主軸となっていた中村俊輔の退団も噂される一方で、扇原貴宏が加入するなど大きな変革の予感が感じられる今冬の横浜F・マリノス。
エリック・モンバエルツ体制3年目となったクラブには欧州で実績を持つ有力な外国人選手が加入することになった。それがウーゴ・ヴィエイラである。
イングランド、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスといった5大リーグ、あるいはポルトやベンフィカなどビッグクラブでの活躍はないため知名度は高くはない。
しかし、出場機会を与えられれば活躍を見せてきた、「知る人ぞ知る」タレントといえるのがウーゴ・ヴィエイラだ。
デビューしたサンタ・マリアは地域リーグの小クラブだったが、そこで圧倒的な得点力を発揮。18歳でボルドーのBチームに引き抜かれたこともある。
しかし、彼がブレイクしたのは2009年から所属したジウ・ヴィセンテ時代だ。
2011-12シーズンにジウ・ヴィセンテは1部に昇格し、ウーゴ・ヴィエイラは開幕となったベンフィカ戦で見事なゴールを決めた。
筆者はたまたまジウ・ヴィセンテの開幕から3試合を生で見ており、その際には「シュートの決定率は低いが、加速力に優れていて飛び出しが上手く、スペースに強いストライカー」とメモを取っていた。
実際当時はそれほどゴールを量産することはなかったのだが、圧巻だったのは次のシーズンだ。
ベンフィカに引き抜かれた彼は、4年契約を結んだのだがいきなりスペイン2部にレンタルに出され、そこでも全然出番がなかったのだ。
例によって半年で戻ってきた彼は古巣ジウ・ヴィセンテに貸し出されると、半年間で8ゴール。まさに鬼気迫るようなプレーで苦戦するチームを助けたのだ。
その時のハイライトと言えば2月のスポルティング戦。2-3で敗れたが、ウーゴ・ヴィエイラは2ゴールを決めた。
その活躍から2013年にはブラガに買われるのだが、結局そこでも出番はなく、ロシアのトルベド・モスクワに移籍する。
ロシアで今一つだったが、1年後に加入したセルビアの名門ツルヴェナ・ズヴェズダではそのスタイルがハマったのか大爆発!同僚のアレクサンダル・カタイに1つ及ばなかったが、20ゴールで得点ランキング2位となったのだ。その際のゴール集はこちら。
このゴール集を見れば分かることではあるが、スピードと運動量を生かした飛び出しからのシュートが彼の最大の持ち味。また、ポルトガル時代にはサイドのドリブラーとしてもプレーし、自分で仕掛けることも得意だ。
評するとすれば、「良いパスがあれば初速が乏しい相手をカモにできる」タイプのストライカーであると言えよう。
そういう点では、前者のパスに関しては横浜F・マリノスなら問題ない。ただ、裏に強いタイプのディフェンスが多いJリーグで後者の点がどうなるか?そこがやや不安といえるだろうか。
ポルトガル人選手がJリーグでプレーするのは2000年にサンフレッチェ広島でプレーしたミゲル(奇しくも彼が広島退団後に行ったのがジウ・ヴィセンテ)以来実に17年ぶり。
これでウーゴ・ヴィエイラが活躍すれば、ポルトガルリーグに眠っているタレントにも大きな注目が集まるだろう。何年もの間チェックしてきた筆者としては、ウーゴ・ヴィエイラの活躍を願ってやまない。
http://qoly.jp/2017/01/07/who-is-hugo-vieira-kgn-1?part=2
2: :2017/01/07(土) 19:08:39.18 ID:
俊輔斬りで補強が捗る捗るw
6: :2017/01/07(土) 19:11:31.24 ID:
>>2
鞠サポって功労者にそういうこと言うんか?
鞠サポって功労者にそういうこと言うんか?
8: :2017/01/07(土) 19:16:43.99 ID:
>>6
去るもの追わずだろ
自分から出ていくならどうぞ
というスタイル
去るもの追わずだろ
自分から出ていくならどうぞ
というスタイル
4: :2017/01/07(土) 19:11:07.04 ID:
去年散々日本行きごねたやつか
バカだな横浜って
バカだな横浜って
7: :2017/01/07(土) 19:13:46.13 ID:
昔フットレっていたなあ
9: :2017/01/07(土) 19:33:18.47 ID:
レッドスターでスポーツ・ダイレクター(SD)を務めるブラゾ・ラオサヴィリェヴィッチ氏が『B92』のインタビューで明かしています。
「契約のことから始まって、プロフェッショナルらしからぬ態度を取り、終いには日本からのオファーをも拒んだ。年俸70万ユーロ(約8500万円)の横浜に行きたくないと言ったんだ」と語るラオサヴィリェヴィッチSD。
それからというもの、素行やトレーニングでの態度、そして試合のパフォーマンスも満足のいくものではなくなってしまったそう。
「(シーズン20ゴールを決めていた)かつてのウーゴではなくなってしまった」というほどまでに変化してしまったようですが、そこから解決策を探し出し、「最終的には日本に行くことになるだろう」という状況まで持ち直した…とのこと。
「契約のことから始まって、プロフェッショナルらしからぬ態度を取り、終いには日本からのオファーをも拒んだ。年俸70万ユーロ(約8500万円)の横浜に行きたくないと言ったんだ」と語るラオサヴィリェヴィッチSD。
それからというもの、素行やトレーニングでの態度、そして試合のパフォーマンスも満足のいくものではなくなってしまったそう。
「(シーズン20ゴールを決めていた)かつてのウーゴではなくなってしまった」というほどまでに変化してしまったようですが、そこから解決策を探し出し、「最終的には日本に行くことになるだろう」という状況まで持ち直した…とのこと。
10: :2017/01/07(土) 20:32:30.69 ID:
>同僚のアレクサンダル・カタイ
こっちに来て欲しかった名前的に(>_<)
こっちに来て欲しかった名前的に(>_<)
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