1:2016/11/14(月) 18:08:32.24 ID:
ポジティブな言葉なんてかけることはできない。

 ポロポロ、ポロポロ。
 
 青山敏弘は、泣いた。泣き続けた。森﨑浩司が「俺、引退するわ」とさりげなく言葉をかけた、その直後からだ。
 
「どうして、あれほどショックを受けたのか」
 心の奥底の声を聞いてみる。青山は、分かっていた。
 
「浩司さんはいつも自分の前に、そして後ろにもいてくれた。引っ張ってくれるし、後ろから支えてもくれた。浩司さんがいない時、僕らはどうやって(広島のサッカーを表現)すればいいか、分からない。2009年、僕らはどんな相手とやっても試合を支配して、4位になった。でもあの時、浩司さんはずっと、いなかった。前の年、J2とはいえ14得点・7アシスト。あれほど点をとっていた浩司さんがいれば……。僕らはずっと、そう思っていた」
 
 その2009年の終盤、青山は膝を負傷。左膝内側半月板縫合術という手術を受け、全治4~5か月という診断を受けた。必死のリハビリを続け、翌年の川崎戦で復帰。だがその試合で再び、左膝の内側半月板を断裂。さらに手術を重ねて全治2か月。怪我による長期離脱を何度も繰り返してきた。
 
 「こういう時、僕はいつも自分を責める。どうして自分は、チームの役に立てないのか。そういうことばかり、考える。そしてきっと、浩司さんも同じ気持ちになっていたはずなんです」
 
 オーバートレーニング症候群で、09年のほぼ1年間を棒に振った。それからも毎年のように症状に陥っては離脱を繰り返し、13年にはまたも、ほぼ1年間近く、戦えなくなった。
 
 精気のない表情。焦点の合わない視線。サッカーができない辛さ。09年には、生きる意欲すら失った男の苦闘。
 
 青山はずっと、その姿を間近で見てきた。しかし果たして、その時の浩司に対して何ができたというのか。
 
「頑張りましょう」
「大丈夫ですよ」
「きっと復帰できますよ」
 
 ポジティブな言葉だ。だが、明日の自分すら思い描けないような症状と戦っている選手に、具体的な裏づけのないポジティブな言葉をかけることなんて、できない。
 
 浩司はすでに、頑張っていた。それでも苦しい。根拠もなく「大丈夫」だとか、まして復帰のことなんて、言えない。
 
 兄・森﨑和幸の述懐である。
 
「09年春に味わったあいつの苦しみは、想像を絶していた。実際にあいつと会った時、症状の悪化が一目見て、分かったから。サッカー選手として戻ってきてほしいなんて、思えない。兄として、弟が普通の生活をできるようになってほしい。心から願った。
 僕も(慢性疲労症候群による)辛さを味わった。その苦しさを単純に比較はできないけれど、きっとあいつの方が厳しかったと思う」

「オレが練習場にやってくるまで、ずっと待っていただろう。それが本当に嬉しかったんだ」

 何もできない。手を差し延べてあげたくても、それが正しいのかどうかも、分からない。それが、ノーマルだ。
 
 だが青山は、違う。その何もできなかった状態にある自分が、許せなかった。
「どうしてもっと、浩司さんの支えになれなかったのか。浩司さんの苦しみは、分かっていたはずなのに」
 
 自分が何度も長期離脱を重ねていたからこそ、自分が浩司を助けなければならない。でも、それができない自分の歯がゆさ。
 「本当に後悔しています。特に2013年の頃は、自分は怪我もしていなかった。14年からはキャプテンだった。なのに、俺は何も、浩司さんにしてあげられなかった。本当に何もできなかった。もっと、何かができたはず。本当に、何かができたはずだったのに」
 
 後悔の念が募り、青山の涙は止まらない。その姿を見て、浩司はゆっくりと話しかけた。
「アオ。覚えているか。オレが練習に戻ってきた頃のことを。あの時はまだ、オレはチームのみんなと一緒に練習はできなかった。だから午前中にみんながトレーニングした後、オレは午後から、ひとりで練習していただろう。覚えているか」
 
 青山は、たしかに覚えていた。
「その時さ、練習を終えたアオがグラウンドで、ずっと待ってくれただろう。オレが歩いて練習場にやってくるまで、待ってくれていただろう。それが本当に嬉しかったんだ。アオがオレを待っている気持ちが、すごく伝わってきたから」
 
 キャプテンは、さらに泣いた。
 
 救われた――。そう思ったからだ。

 
2:2016/11/14(月) 18:09:01.19 ID:
 
 青山の涙は、まったく枯れなかった。10月19日、浩司が選手・スタッフたちの前で「引退」の意志を告白した時も。そして10月29日、引退試合の時も。
 
「引退セレモニーは、グッとくるどころではなかった。やばかった。やっぱり浩司さんは、クオリティが半端なく高い。今日は、常に浩司さんを見ながら、サッカーをしていた。浩司さんが中心のサッカーだった。まだまだ教えられることが多い。これが広島のサッカーだってところを見せてくれた。こんなにずっと一緒にやってきた人の引退、ずっと一緒に戦い続けてきた人の引退、苦しみの質は違うけれど、お互いに苦難を乗り越え合った人の引退……。うーん……」
 
 言葉が出てこない。考えて、考えて。しばらくの沈黙の後、青山は静かに語り出した。
 
「浩司さんはやり切った。すべてを出し切った。そして浩司さんは、闘いに勝利したんです。『浩司さんのような選手』に(自分も)なりたい」

みんなから『凄い』と言ってもらえる、『浩司さんのような選手』にならなければいけない」(柏木陽介)

 一方、かつてともに広島でプレーし、仲間としてライバルとして、青山と切磋琢磨してきた柏木陽介も、浩司の引退について語った。
 
「プロになってからこれまで見た選手のなかで、森﨑兄弟が一番上手いと思っています。練習で見せる基礎技術で、あのふたりに勝てる人を見たことがない。どうして日本代表に入らないのかと、ずっと思っていた。それは、浦和に来ても同じ想い。一緒にやってみないと分からない凄み。それがカズさんと浩司さんなんです。
 すべての能力が高いけれど、身体能力が特に飛び抜けていたわけではない。ただ、頭の賢さやポジショニングは本当に凄かった。シャドーでコンビを組んだ時も、浩司さんが落ち着かせてくれるから、僕がやんちゃにできたんです」
 
 今や浦和の絶対的な存在となり、日本代表でも活躍している柏木の言葉は、止まらなかった。
 
「浩司さんは、広島の人たちに愛されてきた。ずっと広島でやってきて、みんなに愛されて、みんなも守りたいと思う。その気持ちが伝わるから、浩司さんも頑張ろうという気持ちになれる。広島の仲間、家族、ファミリーの温かさを感じるんです。
 そういう期待に浩司さんも全力で応えようとしていた。本当にしんどい時期があったことも知っているけれど、それでも常に前向きに頑張ろうとしていた。奥さんもすごく大変だったと思う。プレースタイルは違うけれど同じ左利きだし、広島ユースで共に育ったし、プロでもずっと一緒にやってきた。人間性も含め、本当に偉大だなと感じます。
 毎年、浩司さんのような凄い選手がいなくなっていく。悲しい。でも、浩司さんの残してくれたもの、教えてくれたものがある。俺はそれを感じて次につなげていきたい。そして自分も、そのように思ってもらえる選手になりたい。みんなから『凄い』と言ってもらえる、『浩司さんのような選手』にならなければいけない」

「あいつは僕にないものを持っていた。才能もきっと、あいつの方が上だったと思う」(森﨑和幸)

 青山敏弘は、浩司が歩いてきた人生を見つめていた。柏木陽介は、浩司のサッカー選手としての凄みを思い、引退を惜しんだ。素晴らしき2人の後輩から、違った形で慕われた森﨑浩司の偉大さは、本稿のみではとても語り切れない。
 
 最後に、浩司が「自分にとっては昔も今も最高の選手」と賛辞を贈った兄・和幸の言葉を記しておく。
 
「あれほどの苦しみを何度も克服して、あいつはピッチに戻ってきた。本当によくやったと思う。僕なら、どうだろう。あいつのようにできたかどうか。浩司はいつも『精神面はカズが強い』というけれど、僕は逆だと思う。人間としても、サッカー選手としても、あいつは僕にないものを持っていた。才能もきっと、あいつの方が上だったと思う」
 
 浩司がセレモニーでカズのことを語った時、スーッと涙が右ほほをつたった。その時、兄の右ほほにも同時に、涙がこぼれていた。森﨑浩司は最後まで、森﨑和幸と共に、存在したのである。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161114-00020580-sdigestw-socc&p=3
 
※関連 
 
3:2016/11/14(月) 18:14:35.49 ID:
>浩司さん

みんな元鹿島の中田かと思ったんだが
 
5:2016/11/14(月) 18:20:51.13 ID:
>>3
中田は浩二
 
4:2016/11/14(月) 18:15:48.63 ID:
柏木は浦和の選手だろ?
 
6:2016/11/14(月) 18:21:25.51 ID:
>>4
昨日くらいからJリーグに興味持ち始めたの?
 
8:2016/11/14(月) 18:24:41.54 ID:
日本代表としても活躍してる柏木
 
10:2016/11/14(月) 18:40:42.67 ID:
若々しさ解き放つ!!
 
13:2016/11/14(月) 18:54:10.38 ID:
森崎ツインズと高校の時に対戦したことあるけど、2人ともすんげー上手くてほれぼれしたわ
俺なんか今は草サッカーでも走れないのに、この歳までプロで頑張って凄いなー
苦労も知ってるから指導者になってほしい