1: :2017/02/06(月) 19:54:36.72 ID:
佐賀県鳥栖市を本拠とするプロサッカークラブ「サガン鳥栖FC」が発足して4日で20年の節目を迎えた。前身の鳥栖フューチャーズが解散し、1997年2月4日に誕生したが、九州唯一のJ1クラブとしての地位を確立させるまでの道のりは平たんではなかった。経営難に直面するなど厳しい道のりをJリーグ初代チェアマンとして支えたのが、日本サッカー協会(JFA)最高顧問の川淵三郎氏(80)だった。「出来の悪い子」と振り返るクラブの成長に目を細めた。


 97年、運営会社の解散が決まっていたフューチャーズについて協議するJリーグ理事会の直前。会場となった都内のビルの外で、川淵氏は数人の鳥栖サポーターから「助けてください。残してください」と懇願された。「そういう熱心なファンがいるのなら、クラブとして継続できるのでは」。消滅の可能性もあったが、サポーターの声に押されて理事会でクラブの存続、リーグとしての支援を決めた。

 サガン鳥栖の発足後、川淵氏はJリーグから、後に常務理事となる熊地洋二氏を派遣。数カ月にわたって経営指導に当たらせた。一方で大手スポーツ用品メーカーとの1億円のスポンサー契約も取り付けた。「こんなことをしたクラブは他にない。特別扱いだね」と、苦難の日々を思い返す。

 2005年に現在の「サガン・ドリームス」が運営会社となって経営が安定。鳥栖市の人口約7万人は今季のJ1~3全54クラブのホームタウンの中で最少だが、12年からはJ1で奮闘中だ。川淵氏は地域密着のスポーツ文化を育むJリーグの「百年構想」を提唱し、昨秋には男子プロバスケットボールリーグ「Bリーグ」発足にも尽力。今では鳥栖のクラブ運営を「模範」と認めるほどだ。

 「出来の悪い子というのは愛情が残る。『奇跡のサガン鳥栖』と言っていい。地道に自前で選手を育てながらチーム力を維持し『優勝なんかよくできたな』という日がくれば」。川淵氏は“成人式”を迎えた鳥栖に感慨深げだった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170206-00010004-nishispo-socc
18: :2017/02/06(月) 20:23:10.76 ID:
>>1
首位に立っていたのに意味わからない理由で韓国人監督を解任したよな。
あのまま行ってたら優勝してたかも知れないのに謎だわ。
21: :2017/02/06(月) 21:04:29.76 ID:
>>1
2017年Jリーグ          /
                    ゝ    山口(J2)
                    |r‐''''-、   .,-、__r-―'''l
                    コ..ノ.l   .  ゙゙̄´        .!-―、

                 , ー'"波(J3)゙ゝ
              /        l
              ../゛蜂(J2)      l
      /゙゙゙'i .ゝ            \,,,,..,,/ ゙̄'-、
   .....,,、゙''、  `゛`^'ー- -、      ,,,,,,,/       /
   |  `'l"    鳥(J1) /      /        _/
   .\  \     ./       |           〈、
   .,,,,,.゙'、  !、 .r'"^.l.  .,,,、 ,,,,,,,,!  ., 、、   .`゙゙゙゙´./ 
   .! `'ッヽ  `ー,,ゝ  l-'"゛    `''"  `i 酉(J2) ゝ-、
    \ ゝゞ   l,゙,,,,、 .l、          ヽ        /
     ゙'、 航(J2)  ..、 |  ,馬(J2)   '-、,,、  .,.  _ゝ
      !._..-'´ /   /  /       ,./     .`^^゛ ./
           ゙'ィ"  l,゙ 、       /         . /
                  /       !        /
              /        .!       /
                /         !      ./
            ノ---- ,,_._____ ."     │
             l゙゙'"      .|         ,ノ
             !        \          |
             |   薩(J3)   `'、     /
             ヽ     .__.    |     .! 
              |    ./ `'i   `''-、  ,ノ
             /   / ゙'i'"゛     |  /
           \___,   .\ .!   /`‐/
               `-.... '".,ノ   .,/
               ィ′.. /
 .,ノ 
ィ′琉(J3) 
2: :2017/02/06(月) 19:55:37.74 ID:
良いスポンサーが出て来ただけじゃん
いつまでもつかね
3: :2017/02/06(月) 19:56:12.18 ID:
女社長カムバック
4: :2017/02/06(月) 19:56:57.78 ID:
昔マラドーナいたよな
8: :2017/02/06(月) 20:01:24.48 ID:
>>4
弟のウーゴな
5: :2017/02/06(月) 19:58:17.10 ID:
地元だが全く興味がない
12: :2017/02/06(月) 20:05:05.31 ID:
>>5
ミサワかな?
6: :2017/02/06(月) 19:58:48.96 ID:
いいからサッカーに集中してくれ。
君達は邪馬台のサッカーチームなんだぞ。
7: :2017/02/06(月) 19:59:23.57 ID:
興味ないのに書き込んでるやつww
10: :2017/02/06(月) 20:01:40.73 ID:
PJMフューチャーズの頃はまだ浜松で、マラドーナの弟が加入とか言ってたよなぁ。
試合開始直前までユニフォームが届かなかったり、ほんとネタチームだった。
11: :2017/02/06(月) 20:04:57.17 ID:
???「あの時鳥栖スタジアム解体しておけば・・・チッ」
13: :2017/02/06(月) 20:06:50.49 ID:
サイゲがもっと頑張っていれば
14: :2017/02/06(月) 20:10:42.33 ID:
仙台、新潟、甲府みたいなマンネリ残留組と一緒になるかどうかの瀬戸際だろ?
美談仕立てにするような段階じゃ無いと思うんだけど
17: :2017/02/06(月) 20:15:42.46 ID:
鳥栖を助けたのは木之本さんです。
川淵は潰そうとしたほうね。

日刊ゲンダイ「木之本興三・Jリーグへの遺言」まとめ

「いきなり呼び付けられたと思ったら、
“おまえ、オレに内証で何やってんだ!”ってどやしつけられた。
すぐに川淵チェアマンに反論した。チームがつぶれてもいいんですか?
Jリーグのイメージダウンになりますよ。それでもいいんですか、と」
97年2月、当時JFL所属の鳥栖フューチャーズ(現J2鳥栖)が経営難で解散。
受け皿として新運営会社・サガン鳥栖が設立されたが、
97年シーズンを前に収入のアテもなく、 チーム消滅の瀬戸際に追い込まれた。

「立派な専用スタジアムを造り、その鳥栖が消滅したら
九州にJリーグのチームは根付かなくなる。
そこでスポーツメーカーのナイキの力を借りることにした。
当時、ナイキは2002年W杯日本代表のオフィシャルサプライヤーを狙っていた。
しかし、なかなか日本サッカー協会上層部に食い込めずにいた。
“まずは手始めに年間1億5000万円を2年間。
ユニホームのサプライヤーの形で鳥栖を支援して欲しい。
そうすれば協会幹部も考慮してくれるだろう”と提案した」
ナイキは木之本の申し出を受けた。 JFLの主管団体、日本サッカー協会の
重松専務理事(良典、元プロ野球・広島球団社長)の了解も取り付けた。
ところが、川淵チェアマンには、身勝手なスタンドプレーに映ったようだ。
木之本を呼びつけて「どうして鳥栖なんかに1億5000万円なんだ」と激怒した。

「川淵さんは当時、クラブがなくなるのは経営が悪い、
つぶれるところは甲斐性がない――というニュアンスの発言をされていた。
個人的には、どんな弱小でも、消滅したらサッカー界にとって
大きなマイナスになると考えた。 なんとしても鳥栖を救いたい。
それでナイキに話を持ち掛けた」 鳥栖救済はJリーグのため、
ひいては川淵さんのためにもなる。そう思って一生懸命やった。
事情を説明したら、最後は渋々ながら「そうか、分かった」と言ってくれた。

http://blog.livedoor.jp/zeileague/archives/50772491.html
19: :2017/02/06(月) 20:36:30.74 ID:
鳥栖市の人口7万人といっても交通の要衝で久留米、福岡が近いってのが大きいな。何よりあの駅直結で傾斜が急で見やすくチケット安いあのスタジアム
九州プロスポーツは、サッカーの鳥栖。バスケの熊本。野球の福岡だな